(R5年1月15日)
燈台下暗し(その4)
燈台下暗し(その4)
この論評は、令和4年6月~8月に長期滞在した北海道紋別郡西興部村のコテージ生活の中で書き下ろしたものです。気楽にお読みいただければ幸いです。
全国各地への移動では、「岬」と名の付く場所へ移動が多いです。日本最〇端の岬ではなく移動先の道中で出会う「〇〇岬→」の道路標識に誘われ、訪れ先の地学の「学び」なのです。
プレートテクトニクス(造山運動の隆起)から、ケープ(岬)の先端の海中へ流れ込む稜線の
変化を一人楽しんでいます。学生時代に「地学ゼミ」に入れば、もっと諸道具を持ち歩きの探索になっていたはずです。樹木の枝の広がりは、同じだけ根張りとなって「緑の山地」を形成しており、「広葉樹」や「針葉樹」など分別しながら、渓谷や沢などの川の伏流水の
経路も見ながら「地形のロケーション」をしっかりと観察しています。
そこには、必ず「地名」が過去を教えてくれます。北海道に多い「〇〇別」の「別」とは
アイヌ民族の営みに不可欠であった「水の流れ = 河川」を意味しています。
山海堂発行の語りつがれる危険予知・災害と地名(小川豊著書)は、的を得た知見なのです。
完全に「燈台下暗し」を感じるのは、地形の読み取りと地形変化に差異を感じた時です。
この事は、教育事業の中で「毎年の講義資料」の作成時、あるいは「構1反省会」など
設問側の意図・理解して欲しい趣旨の「読み取りの差異」とも重なって見えてしまいます。
西宮から東京会場に出向く時、以前は「ノンストップ」で新名神・新東名高速道路の
陸路移動でしたが、数年前から「途中で車中泊」の移動で安全、かつ余裕のある陸路移動
に変更したので、時間の許す限り「岬」のある高台にスティしたのが「静岡県・御前崎岬」
の燈台の真下にある静岡県御前崎市営の公共駐車場で、綺麗なトイレも完備でした。
日が落ちると、「カンデラ」が燈り「一筋の光」を絶え間なく太平洋へ向けて捧げています。
よく観察していると、まさに「燈台下暗し」であり、「街路灯」の明かりが頼りでした。
大海原を航行する「船舶」に向けるものであって、足元・袂(たもと)を照らすものではない
事は当然の事・・・気付いたのが、誰にも教えて頂けない「自分の行動・身の振り方」です。
だからこそ、「我欲」や「欲望」の節制が悔いのない暮らし方を探求する上で、重要と
自分自身に言い聞かせています。「脚下照顧」や「燈台下暗し」って、こういう事かな。
足元をよく見て、自己反省を促しながら、「常に備え」の学びの繰返しです。
このように叶えられる最低で最大の条件は「健康」であること・・・感謝以外ありません。