(R5年1月25日)
燈台下暗し(その5)
燈台下暗し(その5)
この論評は、令和4年6月~8月に長期滞在した北海道紋別郡西興部村のコテージ生活の中で書き下ろしたものです。気楽にお読みいただければ幸いです。
前回の「静岡県・御前崎岬」の例えとは多少、ニュアンスが異なりますが、国語辞典など
から「燈台下暗し」を読むと、手近なことは、かえってわからない・・となっています。
夏の行事・風物詩の「長良川の鵜飼い」に見ると、「鵜匠」と呼ばれる方の袂(たもと)に「鵜」との信号やり取りのように全神経を集中させているようにも見えます。
川船の真下の暗い川の中に「鮎」を必死に探す「鵜」の立場になれば・・・感慨ひとしおでもあります。「鵜」にして見れば生命を授かった時から、「鵜飼い」に育てられ「親子・兄弟」のような「従順さ」にも見る価値は十分にあります。何か少し、「生命や価値観」にも差異を感じますが、「家畜」などの「畜産」という分野に「養蜂」があり、中国では「天山山脈」までの鉄路・陸路で巣箱の移動と「ミツバチ生活」をNHK・BS放送番組で見た記憶も
あり、そこにあるのは、「蜜の品質」に「花」を求める飽くなきノマドな暮らし方でした。
我が国でも、「移動養蜂家」も存在します。拠点を春夏秋冬にあわせての移動生活です。
「花」を求めて、緯度・経度を詮索され「最適な蜜」への飽くなき追及がビジネスです。
ただ単に、「ひまわり畑」を見て、「養蜂」を始める方もいらっしゃいますが、「悪戦苦闘」
の繰返しのはず・・・一つの判断を間違えると、「ミツバチ」の全滅にもつながります。
怖いのが「スズメバチ」だそうです。「養蜂」が何故「畜産」に該当するが知りませんが、森林・平野と関わり「農林水産省」の管轄になるのでしょう。「園芸・花卉」等の人工的な
要素ではなく、「自然の摂理」に采配されている限り、素直な気持ちで「虫の魂」にも目を
向けられる医学者・解剖学者の「養老孟司先生」をいつも思い浮かべます。
神奈川県・鎌倉市の高台にお住まいがあり、「昆虫の研究」で著名な方ですが、足元には長年連れ添った今は亡き「老いた猫(まるちゃん)」の仕草に「燈台下暗し」の意味を教示
されておられたようにTV映像では見受けられました。あぁいう暮らし方が理想です。
晩節に汚名とならないように、自分の立ち位置をしっかりと認識し、「何をすれば他人様」
にとってお役に立つのかを一点に元気な限り、「学び」の継続に「初志貫徹」です。
足元をよく見て、自己反省を促しながら、「常に備え」の学びの繰返しです。
このように叶えられる最低で最大の条件は「健康」であること・・・感謝以外ありません。