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コロナの影響と施策を考える 

(R4年2月15日)

政調会の役割(その1)

政調会の役割(その1)

長く続く「一強多弱の政権」に、庶民生活においてはエコノミクス評価が論じられた。この論評では「政治イデオロギー」は挟みません。何が良くて・何が悪いかは各自の判断

として主権在民の基本に立ち常に世の中の推移から、「あるべき姿」の遡及としたいです。

どの政治パーティーにも「政調会」なるものが存在し、議論を重ねられている。

それはそれで真っ当な姿であり、異論はありません。

この「政調会」とは、政党の「政策部会」のことである。
正式名称は「自由民主党」では「政務調査会」であり、選挙で公約した政策や立法の立案をする党内機関である。「立憲民主党」では「政策調査会」です。

政権政党がどうであれ、政調会長は、政党の「政策部会」の会長のことを言います。

簡単に言うと、政策のプロといえる役職です。

「政務調査会」は、”党が政策として採用する法案の内容を決める ”という役割がある。その業務内容としては、 国会の質問の準備や各種団体からの予算要望の聴取 などがありこの局面に「政治支配」となる「陳情合戦」を制する為の醜い「政治闘争」があり数の力を背景とした「政治献金」や「企業団体献金」で政策が正しい軌道から逸脱するのです。

だからこそ、新建築士制度における「構造設計一級建築士」の講習制度や「付与資格の

あり方」もいずれ、政令改正も政権次第で議論の対象となるはずです。

大きな社会変革・再生(ルネッサンス)となれば、「中央集権化」の弊害も取りざたされ、

より一層の無駄の排除となり、世論の推移動向から、「政策のあり方」にも言及されて

くる事を期待いたします。

 

 

(R4年2月25日)

経済の回復か再生(その2)

経済の回復か再生(その2)

昨秋のお彼岸の頃に接した「構1 web講習」資料では、第3章「構造設計各論」中で

第1節「木造」においてCLTを含む木質構造関係の重要視も読み取れます。

以前から第4章「構造計算適合性判定」の中では第1巻「構造計算適合性判定に関する

事例」について詳細にページを割いて編集されていました。

それは、取りも直さず「構造計算適合性判定」が「構造設計一級建築士」の資質の要件や設計関与として最重要とか、中央省庁の官僚統治による施策を反映したように映るのです。

「木造」においてCLTを含む木質構造関係については、技術進歩や林業活性化に着目した

建築基準法の一部を改正する法律(平成30年法律第67号)の概要も早い段階で周知され、

平成30年6月27日公布から1年以内の施行を経て、既に各地で「木造建築物等に係る

制限の合理化」に伴い、中層木造共同住宅など木造建築物の整備の推進も始まり、防火改修・建替え等の促進となっております。これは「政調会」においてエコノミクス評価として「林業施策」が論じられた結果、折しもコロナの影響による経済の回復か再生と思える。

このように「木質ラーメン構造」もどんどん波及すれば、火災時の消火活動の基本となる「消防の同意」とも相成り、地方都市では「広域消防事務組合」の構成が不可欠となってくるのです。だからこそ、ニーズがあれば何が良くて・何が悪いかは各自の判断として

主権在民の基本に立ち常に世の中の推移から、「あるべき姿」の遡及となります。

新資本主義と称したものは、「成長と分配」だが基本は「偏った成長に分配が届かず」の

過去施策の見直しと映り、経済団体と労働者連合など意識の乖離が露呈しただけなのです。

経済の回復か、生まれ変わらせるのかは「主権在民」にとって国家観の一大事なのです。

新建築士制度における木造3階建てから超高層建築物まで守備範囲となっている現在の

「構造設計一級建築士」の講習制度や「付与資格のあり方」もいずれ、政令改正も議論の

対象となるはずです。問題は、現在の「政令のシステム(施策の外部委託制度)」にある。

大きな社会変革・再生(ルネッサンス)となれば、「中央集権化」の弊害も取りざたされ、

より一層の無駄の排除となり、世論の推移動向から、「政策のあり方」にも言及されて

くる事を期待いたします。

 

 

(R4年3月05日)

庶民のデモクラシー(その3)

庶民のデモクラシー(その3)

デモクラシーって、国語辞典で見ると「①民主主義」「②民主政治」「③民主政体」と

あり接頭には全て「民主」の文字が入る。「民主」は国の主権が人民にあることである。

若年期に「田舎」と称する地方都市で育ち、「学び」に大変な距離の壁を感じて人一倍の

並々ならぬ「苦労」の連続でした。今は5Gの世代で「音声と映像」がリアルタイムでかつ光により超高速で伝搬する恵まれた世の中になり感謝以外ありません。

およそ3年前、中国・武漢市での「正体不明の肺炎」の感染症は瞬く間に世界中へ蔓延となり、「先進国」ですら「生命の危機」や「経済の封鎖」に追い込まれ、「低開発国」ではなすすべなく「保護主義」の台頭です。当然、世界は「覇権争い」に奔走です。

  世の中の推移から「自由主義or社会主義」のEUを含めて大国の世界秩序の混乱により

世界の「分断」が「冷戦」へと足音が聞こえると、同盟・連携が加速化となります。

日本経済も「グローバル化」に飲み込まれ、「一喜一憂」の乱高下の展開となります。

資源のない我が国は「生き残り戦略」に「庶民のデモクラシー」が重要な役割を果たす。

それは、取りも直さず「我々の職域」が「建築基準法」に翻弄され、「政令」や「告示」に縛られて「羈束行為」となる「確認」という制度の根幹に焦点を当てて、このままでよいのか、「〇〇〇をぶっ壊す」として「変革」と見えた政策だった法改正も、結果は「上から目線」の「特定行政庁」の管理下となって「民間確認検査」に移行だったのです。

 図らずも、「構造設計一級建築士」の「考査設問集の持ち帰り拒否」については「上から目線」と揶揄され、ご参加者が講習会場にて一斉に声を上げ、「庶民のデモクラシー」を

垣間見たのです。これが、「あるべき姿」ですから、更にもう一歩前進も必要と思います。

新建築士制度における現在の「政令のシステム(施策の外部委託制度)」に問題がある。

大きな社会変革・再生(ルネッサンス)となれば、「中央集権化」の弊害も取りざたされ、

より一層の無駄の排除となり、世論の推移動向から、「政策のあり方」にも言及されて

くる事を期待いたします。

 

 

(R4年3月15日)

庶民の情報入手源(その4)

庶民の情報入手源(その4)

当方の故郷は、大阪から鉄路約3時間の日本海側の「多雪区域(150cm)」であり、人口も

市町村合併でどうにか約10万人だが、今はその人口も少しずつ減少の一途です。

まさに「鄙の論理」に他ならず辛い思いです。人口均衡化政策が必要なのかも知れない。

何故なら、故郷にはお墓もあり永眠の場所だからです。

いとも簡単に「墓じまい」や「散骨」「樹木葬」など「TVコマーシャル」に翻弄は辛い。

現在の居住地は、瀬戸内海側であり「陸路・空路・鉄路・海路」の全ての移動手段に

恵まれており、何より「雪」に閉じ込まれた「山陰(やまのかげ)」ではないのが救いです。

人の生きざまなど「微々たるもの」です。「そのうち・そのうち」と言っていると墓標が建つと松下幸之助翁が教えて下さいました。ごもっともです。「諸行無常」は人生の常。

若年期に「田舎」と称する地方都市で育ち、「学び」に大変な距離の壁を感じて人一倍の

並々ならぬ「苦労」の連続でしたが、今思えば、庶民の情報入手源は何だったのでしょう。地方都市であれ、大都市圏であれ、地上波TVと新聞だったのでしょう。故郷では新聞は

一日に一刊でした。大都市部のように「日刊・夕刊」など存在していません。新聞の印刷工場は「大都市部ローカル」にしか提供していなかったのです。「夕刊」など見た事もなく育った環境に身を置くと、「庶民の情報入手」さえ「格差」を論じなければならなくなる。

 沖縄の「離島」など「島嶼」に赴くと、もっと情報に取り残されてしまいますが、そこには、「ゆっくりとした時間」が時を刻みます。「あくせく」しない人間本来の時計がある。

 現代社会は、否応なく「時は金なり」であり「ひと」「もの」「情報」を制すれば「お金」は後からついて来るようです。東京から新幹線にて1時間半で「軽井沢の別荘」に着く。

「ビルゲイツの別荘」とか「著名人の戯れ」を見るとエコノミクスの勝ち組を連想する。

日本経済も「コロナの影響で基幹産業の大打撃」となり、税収の大幅ダウンで財務省は

政権に「プライマリーバランス」を執拗に要求し「増税路線」の軌道を敷設するはずです。

このような「世の中の兆候」も今は、多かれ少なかれ「インターネット」により情報が

拡散されており「庶民の情報入手源」ともなっているのです。

だからこそ、「あるべき姿」を求める庶民には「庶民の情報入手源」の価値が高くなる。

新建築士制度における現在の「政令のシステム(施策の外部委託制度)」に問題がある。

大きな社会変革・再生(ルネッサンス)となれば、「中央集権化」の弊害も取りざたされ、

より一層の無駄の排除となり、世論の推移動向から、「政策のあり方」にも言及されて

くる事を期待いたします。

 

(R4年3月25日)

庶民から見た傀儡(その5)

庶民から見た傀儡(その5)

長く続く一強他弱の推移は、支配下分子様態を変えた「別ステージの傀儡」に思えます。

「鄙の論理」で、元島根県出雲市長・元熊本県知事の行動背景には「傀儡」はなしです。ただ、数の力は「寄せ集め」では直ぐに「瓦解」となった過去は「学習」価値があります。

第2次世界大戦の終結後、「昭和・平成・令和」に至る我が国の「傀儡の歴史」も「学ぶ」と何となく「イデオロギーの塊」の「政策・施策の闘争」と映るはずです。

現在の皇室も含め、日本国憲法に則り「歴史の積み重ね」が諸行無常に思えます。

五体満足にこの世に生まれ、人様に「後ろ指」差されず、慎ましく生きる為に多種多様な「人生経験」を積み重ねて今があります。「閑雲野鶴」のライフスタイルを標榜しながら

他人さまに「傀儡」もなく「自己流」に人生を楽しむ工夫を実践しています。

昨年は、北海道紋別郡西興部村のコテージの滞在が夏季1ヶ月でしたが、今季は2ヶ月の「西興部村の長期滞在体験」をさせて頂く予定です。

若年期の兵庫県・日本海側にある様な「田舎」と称する地方都市から更に「山の中の

過疎地の村」が望むライフスタイルでの山間部である西興部村のインターネット環境は

完全整備済みであり、情報は大都市と同境遇でゆっくりした自然回帰に身を委ねます。

早朝には「野生の鹿」がファミリーで徘徊しており、うかつに「山の中」では「ヒグマ」にも出会いますので「コテージにて座禅」のような静かな生活です。

「人が人を操る」のは、本来あるべき姿ではない。「権力」を削がれたものは「廃人」の処遇を隣国である「朝鮮半島」で何度も見ています。

「水は堰き止めれば澱む」、そして「堰を開放」すれば「清らかな流れる水」となり庶民の「オアシス」であるはずです。いつの時代から「デモクラシー」が壊れたのかと常に

自分自身の心の中で世の中の推移を静かに見つめています。

 真面目に働く者がバカを見る「社会」ではあってはならないと肝に銘じています。

だからこそ、「あるべき姿」を求める庶民には「庶民から見た傀儡」の行方が気にかかる。

新建築士制度における現在の「政令のシステム(施策の外部委託制度)」に問題がある。

大きな社会変革・再生(ルネッサンス)となれば、「中央集権化」の弊害も取りざたされ、

より一層の無駄の排除となり、世論の推移動向から、「政策のあり方」にも言及されて

くる事を期待いたします。

 

 

(R4年4月05日)

庶民レベルの社会変革・再生(その6)

庶民レベルの社会変革・再生(その6)

ここでの論評に「政治イデオロギー」は挟みたくありません。

真面目に働く庶民を裏切らない「政策・施策」を誰もが望むはずです。

各政治パーティーは「選挙公約」を示すが、一部の方へ利権誘導ばかりが目に付く。

何故そうなるか ? 結論は「政治献金」なのです。献金 = 賄賂で政策・施策が歪むのです。

何故、この政治献金を一切廃止出来ないのか・・・そこに「政治と金で権力傀儡」がある。

何の為の「政党助成金」を交付しているのか / 政策実現に寄与のはず。某政治パーティーはこれを頑なに「拒否」していますのに「政策・施策」の提言もしています。

何かが間違っているか、「歯車がズレている」とかしか思えない。選挙のたびに各種団体が必死になって何故応援するのかを考えると、「利益誘導ゲーム」にしか見えない。

国会議員の定年制より、公職選挙法改正で立候補は何度でもいいが「当選は一回限り」は最もインパクトがある。「隗より始めよ」の故事どおり、遠大な事をするには手近なことから始めよである。「永田町」での日々の政治倫理に疑問符がつきまってしまう。

自己保身とか、いわゆる「傀儡」のない新人による「新鮮な政治」となるはずである。

反面教師として、「闇のボスのアンダーコントロール厳禁」を法律明文化すべきでもある。

若年期の「田舎」と称する地方都市では「選挙権の行使」は唯一の行動でした。

都市部では「候補者」が身近に見えないし、接する機会もなければ「主張」も蚊帳の外。これではいけないが「投票日」には国民の権利の行使は忘れていません。

もし「ルネサンス」が起きるなら、真の「社会変革・再生」となり庶民レベルで大歓迎。

「水は堰き止めれば澱む」、そして「堰を開放」すれば「清らかな流れる水」となり庶民の「オアシス」であるはずです。いつの時代から「デモクラシー」が壊れたのかと常に

自分自身の心の中で世の中の推移を静かに見つめています。

各種の支援金も救済であるが、歳出を伴う・・・もし「年貢」を免除 (消費税廃止) なら

歳出もなく、賢い「節約」財政となるはず。プライマリーバランスで論じるならば、当然

母屋で「おかゆ」、離れで「すき焼き」は元財務大臣の発言があった会計法の大改正により

「特別会計」と「一般会計」を一体化して予算・決算を国会承認とすれば「節約」も可能。

実現には物凄い抵抗勢力の嵐となるが、それが出来れば「歴史上の人物」となるはずです。

 真面目に働く者がバカを見る「社会」ではあってはならないと肝に銘じています。

だからこそ、「あるべき姿」を求める庶民には「庶民から見た傀儡」の行方が気にかかる。

新建築士制度における現在の「政令のシステム(施策の外部委託制度)」に問題がある。

大きな社会変革・再生(ルネッサンス)となれば、「中央集権化」の弊害も取りざたされ、

より一層の無駄の排除となり、世論の推移動向から、「政策のあり方」にも言及されて

くる事を期待いたします。

 

 

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