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脚下照顧・燈台下暗し 

(R4年12月15日)

脚下照顧(その1)

脚下照顧(その1)

この論評は、令和4年6月~8月に長期滞在した北海道紋別郡西興部村のコテージ生活の中で書き下ろしたものです。気楽にお読みいただければ幸いです。

いつもの西宮の生活から「北海道の北部」にある小さな村のコテージ生活は、まさに足元

の靴・スリッパの整頓から「禅の教え」として郷里の菩提寺に木板に掲げられて戒めでした。「欲望の塊」である人々の我欲は、留まる事なく「快適化」を追求し、「ひと・もの・お金」に翻弄されて、マインドコントロールされる「宗教団体」にのめり込む方まで悲惨な結果を日々のTV報道で見つめています。「政教分離」が大切な自己形成の要素とも思えます。

私の趣味は、「構造計算」だけではない・・・最近になって「車旅」の楽しさに魅了され諭吉さまのご機嫌を伺いながら、1回限りの人生を楽しんでいます。

友人のブログで見た「北海道の閑雲野鶴生活」に憧れて、即、実践ですが、「現役」の

抱える「日程スケジュール」に絡み、「調整」や「辛抱・我慢」もあります。

楽しむ事に付いてまわるのが、「健康」です。体重と身長の関係値(BMI)は概ね20をキープ。

そこには、「菜食主義」があり、「肉系脂質」を極力避けた食生活となっています。

 過去に、移動三昧の「構造のご支援」では、ビールの戯れもあり自分自身の自己反省を

繰返していました。1ヶ月のうち、西宮の自宅は1週間程度しか生活せず、家内共々、全国各地の「ホテル生活」と「空路移動」の教育事業の展開でもありました。

当社の「顧問税理士」さまから、ガレージにあるステーションワゴンの活用を進言されて

移動形態の変化となり、赴任先々において「賃貸マンション」での多重拠点生活でした。

少しずつ、移動形態にも変化が見え始めて、受講者からの「社宅」の提供も頂き感謝となる

行動日程スケジュールに無理があり過ぎる・・・気付き出しての「避寒・避暑」を考えて

「理想郷・理想スタイル」となったのが、2年前の「北海道紋別郡西興部村のコテージ生活」の開始と「コテージ内からのZoomリモート講義」やインターネット環境完備による西宮の執務室と同じ環境の構築が北緯44度の避暑地でもある「北海道の北部」で始まりました。

改めて、自分の若年期の生い立ち、田舎、働き方改革など考慮したささやかな構造支援の

全国展開から出来る範囲の滅私奉公です。

北緯35度の「関西」から北緯44度の「北海道の北部」での長期滞在生活も2回目となり

「乳製品・肉・魚・野菜」の現地調達と持ち込んだ故郷の白米で自炊生活です。

足元をよく見て、自己反省を促しながら、「常に備え」の学びの資料作成です。

このように叶えられる最低で最大の条件は「健康」であること・・・感謝以外ありません。

 

 

 

(R4年12月25日)

脚下照顧(その2)

脚下照顧(その2)

この論評は、令和4年6月~8月に長期滞在した北海道紋別郡西興部村のコテージ生活の中で書き下ろしたものです。気楽にお読みいただければ幸いです。

人の生き様を見つめると、「うらやましい」とか「スタンスが違う」など感じる事がある。

生まれ育った故郷には、身内の親族もなく「お墓」のみ、春秋のお彼岸に約2時間の陸路

移動で墓参をしています。いつも、助手席の家内の手元にあるスマートフォンが「流れゆく空・雲」を高速道路の移動時に撮影していますが、それは「弘法大師(空海)」の悟りにも思えます。 素直な気持ちで「時空」を見ると、欲望の塊に「自己反省」や「我を見つめ直す」必要性を常に感じて、「お彼岸の移動」になっております。時折、「松葉カニ(せこガニ)」の

解禁日後に「積雪のたより」の来る前に「弾丸往復」も欲望のなす行動です。

「あぁしたい・こうしたい」の連鎖に至る気持ちの中、「菩提寺」の玄関の真正面に

掲げられた木板の「脚下照顧」の文字を独り言のように心の中で呟いています。

実務の構造計算も約40年以上に関与させて頂き、至らぬ点も多々あり、省力化と称して

最新IT機器に委ねて、本来の技術者の「あるべき姿」を見失う事になりなりがちです。

最近では、関与させて頂いた「構造計算書」は、だれが見ても「教材」となるように

緻密で完璧ではないが、「真っ当なもの」に注傾して作成させて頂いております。

それが、「企業戦略」にはマイナス要因ですが、そこは「レガシー(無形遺産)」の気配りにて寛容な取組みだと考えており、「しっかりと自分の立ち位置」の再認識ともなっています。

西宮の執務室には、ホワイトBOXが膨大にありますが、少しずつ、「電子データ化」して

執務エリア等のスペースの改善などが、応接コーナーの臨時スタジオにも及んでいます。

「脚下照顧」や「燈台下暗し」は、無駄を省くという事なのだろうと気付いております。

私の趣味は、「構造計算」だけだったのですが・・・最近になって「車旅」の楽しさに魅了

され、北九州市に「ブログの友人」にも巡り合えました。「分相応」に楽しみ方も模索して、

進め方も見えて来ました。ただ、進捗は「諭吉さま」のご機嫌次第です。

だからこそ、諭吉さまのご機嫌を伺いながら、1回限りの人生を楽しんでいます。

足元をよく見て、自己反省を促しながら、「常に備え」の学びの繰返しです。

このように叶えられる最低で最大の条件は「健康」であること・・・感謝以外ありません。

 

 

 

(R5年1月05日)

脚下照顧(その3)

脚下照顧(その3)

この論評は、令和4年6月~8月に長期滞在した北海道紋別郡西興部村のコテージ生活の中で書き下ろしたものです。気楽にお読みいただければ幸いです。

教え子と称して、たわいないメールを頂いた時、「走馬燈」のような「一筋の燈火(ともしび)」を感じて心打たれます。そんな旧知の人脈は、当方にとって「無形財産」に他なりません。

毎年の台風情報に一喜一憂する「沖縄県」への「神戸-那覇」空路往復も10年近く続き、様々な琉球の暮らし・結の精神も知り、「泡盛のおとおり」も付き合いさせて頂いた記憶が蘇ります。ピロティ形式の多い「那覇市内の高層建築物」にも関与させて頂き、技術者と

して「説明責任」を果たしておりますが、「企業戦略」ではマイナスしか残りません。

 現地での生活は、「琉球の食生活」にも馴染むには受講者とご一緒の研修施設に近い

民家食堂での「琉球の日替わり定食」でしたが、とても美味しく完食の記憶があります。

どの地域であっても、「ご自慢のもの」ですから、「残さず」は当然ですし、エコを考えた

食材・食器など見るに付け、普段の生活に「贅沢は敵」との再認識もありました。

このあたりが「脚下照顧」であり「燈台下暗し」と肝に命じております。

札幌では「お水」がとても美味しく頂けて、関西の水とのギャップを感じていました。

特に、「福岡」からの受講者とご一緒した札幌のセミナー終了後、北海道勇払郡むかわ町の

道の駅でのお食事とお水の美味しさには今迄に経験のないものでした。この方は帰路の

「札幌→福岡」空路でトランジット(乗り継ぎ)に失敗され「成田空港ホテル」に宿泊後の

想定外の遠距離移動をされたようですし、突然の「脳梗塞」にも見舞われ今は元気に業務

に復活されており、「人生1回限り」で「人生いろいろ」を痛感しております。

 だからこそ、悔いのない暮らし方を探求する上で、「我欲」や「欲望」の節制が重要と

自分自身に言い聞かせています。「脚下照顧」や「燈台下暗し」って、こういう事なのかな。

足元をよく見て、自己反省を促しながら、「常に備え」の学びの繰返しです。

このように叶えられる最低で最大の条件は「健康」であること・・・感謝以外ありません。

 

 

 

 

(R5年1月15日)

燈台下暗し(その4)

燈台下暗し(その4)

この論評は、令和4年6月~8月に長期滞在した北海道紋別郡西興部村のコテージ生活の中で書き下ろしたものです。気楽にお読みいただければ幸いです。

全国各地への移動では、「岬」と名の付く場所へ移動が多いです。日本最〇端の岬ではなく移動先の道中で出会う「〇〇岬→」の道路標識に誘われ、訪れ先の地学の「学び」なのです。

プレートテクトニクス(造山運動の隆起)から、ケープ(岬)の先端の海中へ流れ込む稜線の

変化を一人楽しんでいます。学生時代に「地学ゼミ」に入れば、もっと諸道具を持ち歩きの探索になっていたはずです。樹木の枝の広がりは、同じだけ根張りとなって「緑の山地」を形成しており、「広葉樹」や「針葉樹」など分別しながら、渓谷や沢などの川の伏流水の

経路も見ながら「地形のロケーション」をしっかりと観察しています。

そこには、必ず「地名」が過去を教えてくれます。北海道に多い「〇〇別」の「別」とは

アイヌ民族の営みに不可欠であった「水の流れ = 河川」を意味しています。

山海堂発行の語りつがれる危険予知・災害と地名(小川豊著書)は、的を得た知見なのです。

完全に「燈台下暗し」を感じるのは、地形の読み取りと地形変化に差異を感じた時です。

 この事は、教育事業の中で「毎年の講義資料」の作成時、あるいは「構1反省会」など

設問側の意図・理解して欲しい趣旨の「読み取りの差異」とも重なって見えてしまいます。

西宮から東京会場に出向く時、以前は「ノンストップ」で新名神・新東名高速道路の

陸路移動でしたが、数年前から「途中で車中泊」の移動で安全、かつ余裕のある陸路移動

に変更したので、時間の許す限り「岬」のある高台にスティしたのが「静岡県・御前崎岬」

の燈台の真下にある静岡県御前崎市営の公共駐車場で、綺麗なトイレも完備でした。

日が落ちると、「カンデラ」が燈り「一筋の光」を絶え間なく太平洋へ向けて捧げています。

 よく観察していると、まさに「燈台下暗し」であり、「街路灯」の明かりが頼りでした。

大海原を航行する「船舶」に向けるものであって、足元・袂(たもと)を照らすものではない

事は当然の事・・・気付いたのが、誰にも教えて頂けない「自分の行動・身の振り方」です。

 だからこそ、「我欲」や「欲望」の節制が悔いのない暮らし方を探求する上で、重要と

自分自身に言い聞かせています。「脚下照顧」や「燈台下暗し」って、こういう事かな。

足元をよく見て、自己反省を促しながら、「常に備え」の学びの繰返しです。

このように叶えられる最低で最大の条件は「健康」であること・・・感謝以外ありません。

 

 

 

 

(R5年1月25日)

燈台下暗し(その5)

燈台下暗し(その5)

この論評は、令和4年6月~8月に長期滞在した北海道紋別郡西興部村のコテージ生活の中で書き下ろしたものです。気楽にお読みいただければ幸いです。

前回の「静岡県・御前崎岬」の例えとは多少、ニュアンスが異なりますが、国語辞典など

から「燈台下暗し」を読むと、手近なことは、かえってわからない・・となっています。

夏の行事・風物詩の「長良川の鵜飼い」に見ると、「鵜匠」と呼ばれる方の袂(たもと)に「鵜」との信号やり取りのように全神経を集中させているようにも見えます。

川船の真下の暗い川の中に「鮎」を必死に探す「鵜」の立場になれば・・・感慨ひとしおでもあります。「鵜」にして見れば生命を授かった時から、「鵜飼い」に育てられ「親子・兄弟」のような「従順さ」にも見る価値は十分にあります。何か少し、「生命や価値観」にも差異を感じますが、「家畜」などの「畜産」という分野に「養蜂」があり、中国では「天山山脈」までの鉄路・陸路で巣箱の移動と「ミツバチ生活」をNHK・BS放送番組で見た記憶も

あり、そこにあるのは、「蜜の品質」に「花」を求める飽くなきノマドな暮らし方でした。

我が国でも、「移動養蜂家」も存在します。拠点を春夏秋冬にあわせての移動生活です。

「花」を求めて、緯度・経度を詮索され「最適な蜜」への飽くなき追及がビジネスです。

ただ単に、「ひまわり畑」を見て、「養蜂」を始める方もいらっしゃいますが、「悪戦苦闘」

の繰返しのはず・・・一つの判断を間違えると、「ミツバチ」の全滅にもつながります。

怖いのが「スズメバチ」だそうです。「養蜂」が何故「畜産」に該当するが知りませんが、森林・平野と関わり「農林水産省」の管轄になるのでしょう。「園芸・花卉」等の人工的な

要素ではなく、「自然の摂理」に采配されている限り、素直な気持ちで「虫の魂」にも目を

向けられる医学者・解剖学者の「養老孟司先生」をいつも思い浮かべます。

神奈川県・鎌倉市の高台にお住まいがあり、「昆虫の研究」で著名な方ですが、足元には長年連れ添った今は亡き「老いた猫(まるちゃん)」の仕草に「燈台下暗し」の意味を教示

されておられたようにTV映像では見受けられました。あぁいう暮らし方が理想です。

晩節に汚名とならないように、自分の立ち位置をしっかりと認識し、「何をすれば他人様」

にとってお役に立つのかを一点に元気な限り、「学び」の継続に「初志貫徹」です。

足元をよく見て、自己反省を促しながら、「常に備え」の学びの繰返しです。

このように叶えられる最低で最大の条件は「健康」であること・・・感謝以外ありません。

 

 

 

 

(R5年2月05日)

燈台下暗し(その6)

燈台下暗し(その6)

この論評は、令和4年6月~8月に長期滞在した北海道紋別郡西興部村のコテージ生活の中で書き下ろしたものです。気楽にお読みいただければ幸いです。

全国各地の行脚での唯一の不安が「シングル時の体調不良」です。今回の北の大地においても初期に「下痢」の連続・・・油物の摂取が原因で、「正露丸」の服用で体調は元通りです。

しかしながら、「諸行無常」の如く日々の時間に追われる生活です。

何としても、「追われる」から「追いかける」生活に変化しないと自分自身のコントロールに不安要因が付きまといます。そこで、実践は、「時間を区切る」に的を絞り無駄を省く。結果として、「二度手間」はしない、「アナログ的」に几帳面にメモ書きライフとなっている。単身で赴任・移動となれば、尚更「朝・昼・夕方・夜」と区切る時間帯に楽しみ、必要な

事を実践すれば、手近なことでも、よくわかる・・となっています。

前回、医学者・解剖学者の「養老孟司先生」の話題を出しましたが、先生の老いる暮らし方

をいつも思い浮かべて、「参考」となる部分は改善・快適化に据えて見ようと考えています。

あぁいう暮らし方が理想です。老いても「探求心」を忘れずに、後進の糧となるように

当方の受講者には「親子でのご支援」もあり、また「息子のように溺愛」もあります。

晩節に汚名とならないように、自分の立ち位置をしっかりと認識し、「何をすれば他人様」

にとってお役に立つのかを一点に元気な限り、「学び」の継続に「初志貫徹」です。

足元をよく見て、自己反省を促しながら、「常に備え」の学びの繰返しです。

このように叶えられる最低で最大の条件は「健康」であること・・・感謝以外ありません。

生き様の「羅針盤」で、「針路は一直線」です・・・向かう先は「永久のリダンダンシー」

 

 

 

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